「一周回って帰ってきたような感じです」鹿児島県頴娃(えい)町でお茶農家として暮らす 上村あゆみさんにロングインタビュー!

エイゴーをご覧の皆さん、こんにちは。

鹿児島県 南九州市 頴娃(えい)町を拠点に活動している、かざりです。

普段はフリーランスのブロガーやライター、情報発信コーディネーターなど様々な肩書きを使いわけながら、書くことを主な生業として生計を立てています。

 

そんなフリーランスの活動と並行して、様々な小商い的な仕事もしていて、その中の1つにABカフェというお店があります。

ABカフェは、頴娃町の老舗旅館 いせえび荘の中にある、パフェやアイスクリーム、サンドイッチなどを提供しているカフェです。

地元産の芋や卵、お茶など、地元産の食材を使った手作りのメニューが豊富で、観光雑誌やテレビでも度々取り上げられています。

 

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頴娃町の風景の1つ「お茶畑」

頴娃町で暮らし始めてから、お茶畑を目にする機会がグンと増えました。

頴娃町が位置する南九州市は、市町村別のお茶の生産量日本一

お茶が身近な環境で暮らす内に、飲むためのお茶から少し広がって「お茶を作っている人」にも興味が沸くようになり、いつかお話を聞けたらいいな、と思っていました。

青い空と緑の茶畑と開聞岳

 

すると、ある日ABカフェのオーナーから

「ABカフェで使っている地元産の食材について、作っている人に取材をするのはどうかな?」というアイデアが。

いつかお茶農家さんに話を聞いてみたいと思っていたわたしにとって、またとない提案。

2つ返事で「取材、行きます!」

早速、上村あゆみさんというお茶農家さんをご紹介いただき、取材させてもらえることになりました。

 

「上村あゆみさん」プロフィール

お名前:上村 亜由美(あゆみ)さん

お茶農家の長女として、南九州市頴娃(えい)町に誕生。高校はお隣の指宿市にある商業高校に進学。卒業後、就職のために上京。

東京で6年ほど会社員として働き、25歳の時に母の「帰ってきて欲しい」という願いを聞き入れ、鹿児島にUターン。とはいえUターン直後は頴娃町ではなく、鹿児島市で10年ほど暮らした。

その後、結婚を機に旦那さんの益治(ますはる)さんと共に、農業の道へ。現在は夫婦二人三脚で、南九州市頴娃町で専業お茶農家として暮らしている。

 

時雨日和の中で、始まった取材

新型コロナウイルス感染症の影響が、今ほど広がっていなかった2020年2月。

その日は雨混じりの風が吹いていて、かと思えばパアッと日が差しこむような、目まぐるしい空模様でした。

雨で冷えた体をぶるるっと震わせると「時雨日和(しぐれびより)だね」と言う声が。

「今日みたいな天気のことですか?」と取材相手である、お茶農家の上村あゆみさんに尋ねると

「そうそう。この辺の人は、時雨日和って呼んでるよ」と教えてくれました。

灰色の空が広がり、風の中で雨粒が踊る時雨日和の中で、あゆみさんへのインタビューが始まりました。

 

田舎が嫌だった高校時代

(ー:かざり)
太字:あゆみさん

ー本日は、お時間いただきありがとうございます。よろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いします。

 

ーまずはこれまでの経歴や、プロフィールから伺っていきたいと思います。ご出身は、頴娃町ですか?

そうです。頴娃町生まれ、頴娃町育ち。お茶農家の長女として生まれました。

 

ーそうなんですね。高校も頴娃町内にある学校ですか?

高校はお隣の指宿市にある、商業高校に進学しました。

 

ー高校卒業後は、どんな進路を進んだのでしょうか?

卒業後は、就職のために上京しました。

1年目は会社の寮に入って、次の年からは一人暮らしを始めました。

取材は茶畑に囲まれた「茶や、」にて

 

ーご実家は、お茶農家でしたよね。

そうです。両親共に、お茶農家です。

 

ー長女ということですが、ご両親から「後を継いで欲しい」や「地元に残って欲しい」という要望はなかったのでしょうか?

あったような気もするけど、自分としては地元で働くのは嫌だと思っていて…。

当時は頴娃町には仕事がないと思っていたし、そもそも田舎が嫌だったんです。

 

ー地元が嫌で、都会に飛び出したような感じですか?

そうですね。

「都会で1人でがんばっていくぞ!」という思いが強かったです。

 

ー東京では、どんな風に過ごしましたか?

会社員として、6年ほど働きました。

まだ寒かった、2月のインタビュー

 

ー鹿児島に帰ってこられたのは、いつ頃でしょうか?

高校を卒業して6年間東京で暮らした後なので、25歳頃ですね。

 

Uターンのきっかけは、母親の存在

ー鹿児島に帰るきっかけは、何だったのでしょう?

大きなきっかけは、ある日父が事故で突然亡くなって。それからしばらくして母から「帰ってきてほしい」と言われたことですね。

母としても突然父がいなくなったことで、不安や寂しさがあったんだと思います。

 

ーそうだったんですね…。ということは、鹿児島に帰ってすぐにお茶農家として後を継いだんですか?

いえ、その時点では、まだお茶農家にはなっていません。

都会で6年間過ごした後だったので、すぐに地元に戻るのはちょっと違うな…という気持ちもあって、鹿児島市で暮らしていました。

 

ー鹿児島市では、どんなお仕事をしていたんでしょうか?

東京の時と同じように、会社員として働いていました。

 

鹿児島市で10年暮らし、そして結婚へ

ー鹿児島市での暮らしから、頴娃町に戻るきっかけになった出来事について教えてください。

1番は結婚したことが大きいですね。

34歳で結婚して、それからも2年ぐらいは鹿児島市で暮らしたんですけど。

過去をふりかえる、あゆみさん

 

ー高校を卒業してから上京し、会社員として6年間東京暮らし。その後、25歳で鹿児島にUターン。とはいえ頴娃町に戻ったわけではなく、10年ほど鹿児島市で過ごしたんですね。

そうですね。

 

ー中々地元に戻らないのが面白いですね。

やっぱり一度出るという選択をしているので、すんなり地元に帰るというのは無かったですね。

 

ー頴娃町に戻った年って、覚えてますか?

平成19年(2007年)ですね。年齢的には、30代後半で地元に戻りました。

 

ー先ほど頴娃町に戻るきっかけは、結婚したことと仰っていましたが、旦那さんの出身はどちらでしょうか?

彼も頴娃町の出身です。

といっても私は山手の方に住んでいて、彼は海側に住んでいたので、子ども時代の面識はなかったんですけど。

 

ーそうなんですね。じゃあ、頴娃町に戻ることを最初に決めたのは、旦那さん…?

そうですね。当時は、私も彼も会社員として働いていたんですけど…

ある年のゴールデンウィークに、私の実家のお茶摘みの手伝いに、彼と一緒に参加したんですね。

 

ーあゆみさんの実家のお手伝いということですね。

ですです。うちのお茶摘みは親戚みんなで集まって作業するんですけど、その中に入って一緒に体を動かしたことが、彼としては楽しかったみたいで。

青い空の下、お茶畑の中で親戚みんなとワイワイしながら、お茶を摘み、休憩時間にはお茶を飲んで、おやつを食べて。

彼にとっては、それがすごく気持ちよかったみたいです。

 

会社員から、お茶農家へ転身

ー鹿児島市での暮らしとのギャップみたいなものに、惹かれたのでしょうか?

それもあるかもしれませんね。

彼は学生時代、体育会系だったこともあり、自然に触れながら体を動かすような仕事は、向いていたのかもしれません。

 

ーご実家のお母さんは、娘夫婦が頴娃町に戻ってくることを、喜んだんじゃないですか?

母は、とっても喜んでいました!

私たちが就農するために必要な作業車、機械、倉庫なども全て用意してくれるほどで。とてもありがたかったです。

母のあまりにもウキウキした姿に、親戚は少し呆れていたみたいですけど…。

 

ー相当、嬉しかったんでしょうね。

父が亡くなってから大変な面も多かったと思います。踏ん張ってやっていた分、喜びも大きかったのかもしれません。

とはいえ「クワひとつ、カマひとつ持ったことない男が、本当に大丈夫だろうか」と心配もしていたみたいです。

私自身も親や家のことが気になっていたので、彼が農業をやりたいと言った時は

「頴娃町に戻って、職業としての農業も悪くないかな…?」と思うようになっていました。

2時間ほどの間に、たくさんお話を伺いました

 

お茶農家の仕事について

ーここからはお茶農家さんの仕事内容についてお聞きしていきます。春頃になるとお茶畑に人がいるのをよく見かけますが、いつぐらいまでがシーズンなのでしょうか?

大体4月10日前後から、一番茶のお茶摘みが始まります。

それから約1ヶ月間、ゴールデンウィークくらいまで摘みますね。最初にお茶を積んでから、45日ほど経つと二番茶の芽が出てきて、それもまた1ヶ月ぐらいかけて摘みます。

まさに「青々とした」お茶の葉

 

また茶摘みと並行して茶工場での加工も行っているので、この時期はとても忙しいです。

農家さんによって違いはありますが、私たちは三〜四番茶まで摘んでいくので、春〜夏ぐらいまでがトップシーズンになりますね。

それからも畑の管理は続きますが「ひとまず今年の稼ぎはできたかな」と一息つくような感じです。

そして夏が終わって、10月頃から秋番茶が始まります。

秋番茶も1ヶ月くらい摘んで、10月後半に終了。11月以降も草刈りなど畑の管理は続きますが、大まかな流れはこんな感じです。

農家さんによってはお茶以外の作物も育てていたりとそれぞれ異なるので、あくまで私たちの場合の進め方という感じですが。

 

ー摘んだお茶の時期によって、用途が変わったりするんですか?

一、二番茶は急須で淹れるお茶になって、三番茶以降はペットボトル用のお茶として使われることが多いですね。

秋番茶は、主にほうじ茶として使われます。

 

ーお茶摘みの時期にお茶畑の近くを車で通ると、黒い布みたいなもので覆われていることがありますが、どういう意味があるのでしょうか?

それは「被せ」ですね。急須で淹れる用のお茶の葉に被せることが多いです。

時期になると、あちこちで見かける「被せ」

 

ー被せることでお茶の味が変わるんですか?

変わりますね。被せることでお茶の葉の色が濃くなって、旨みも強くなります。

 

ーお茶を摘むタイミングの見極めって、どうするんですか?

お茶からの「今日摘んでください」という声を聞いて判断します。

お茶摘みの時期は、お茶に合わせて人間が動くような感じですね。

毎日畑に通って、毎日観察。そうやって積みあげた長年のカンみたいなもので見極めます。

 

ーお茶と接している中で「これはちょっとカンを外したかも…」みたいなことってないんですか?

ないことは、ないです。

黒い覆いを外した時に「大きくなりすぎてる…」と思うこともありますが、

お茶の生産はチームプレーなので、その後の加工の段階でうまいこと合わせていきます。

 

ー頴娃町で暮らし始めてしばらく経った頃に「シーズン中のお茶農家さんは寝る暇もない」と聞いたことがあるのですが…。

寝る暇もないというと大袈裟かもしれませんが、うちの場合の夜に稼働するパターンは、大きく2つです。

1つ目は、春先にお茶が芽吹く頃。

霜が降りるとお茶がダメになってしまうので、霜が降りるのを防ぐ 「防霜(ぼうそう)ファン」が作動しているかを確認するために畑をパトロールします。

くるくる回る姿が可愛らしい「防霜ファン」

 

防霜ファン自体はサーモセンサーがついていて、温度に応じて自動で動くようにはなっているんですけど、それでも懐中電灯片手に1時間ほど畑を見て回りますね。

その時期はあちこちの農家さんが自分の畑を見て回っているので、うちのファンが止まっていると「ファンが回っていないぞ」と連絡をしてくれることもあります。

 

ーファンが回っていない時は、農家さんが直すんですか?

その時は、電気屋さんに連絡して、畑まで来てもらいます。

 

ーお茶の産地ならではの光景ですね…電気屋さんも凄い…。

そうなんですよ! 本当、皆さんに感謝です。

2つ目のパターンは、お茶の時期はお茶を加工する「茶工場」と呼ばれる場所が24時間稼働していて、それぞれシフトを組んで対応しています。

夜のシフトは、25:30〜翌朝の10:00まで。

場合によってはシフトが終わって、そのまま畑に出ることもありますね。

 

仕事中の頭の中は、期待でドキドキ

ー体力的にもかなり消耗が激しいと思いますが、どんなことを頭に浮かべながらお茶を摘んでいるのでしょうか?

一番茶を摘んでいる時は、正直「高く売れるといいな〜」と期待していますね。

今年はどんなお茶になるかな?とドキドキしながら、摘んでいます。

期待に胸が弾みます

 

ーお茶の価格は、どのようにして決まるのでしょうか?

値段については摘んだお茶を製造して、そのお茶を出荷した翌日にわかるような形です。

お茶市場で、8:00から入札が始まります。

例年だと、青々しく冴えている緑が好まれる傾向です。

赤みがあったり黄色味が強かったり、虫食いや傷がついていると低い評価になってしまいます。

その年のお茶の価値は市場に出してみないと分からないので、思ったより評価されない年もあるし、予想以上に高い評価をもらう年もあります。

年収の半分くらいがそこで決まるので、結果を知る時は色んな意味でドキドキしますね。

 

ーシビアな世界なんですね…。お茶農家の仕事の中で、1番大変なことって何でしょうか?

自然が相手なので、予測ができないところですね。風に吹かれたお茶の葉同士が擦れて傷になってしまったり。

人の力で防げないことも多いです。

天気予報を逐一チェックして、できる限りの対策はしますが、どうにもコントロールできない部分はありますね。

 

ー反対に楽しかったり、おもしろいと感じる点は?

自然が相手なのでコントロールできない部分は多いですが、それでも人間の知恵や管理の仕方によって、お茶の味が変わっていくのがおもしろいです。

お茶農家に転職して1年目は右も左もわからなくて、母に指示を受け、勉強しながら要領を得ていくような感覚でした。

でも、ある時ベテランのおじさんたちが「毎年1年生だよ」と話していたのを聞いて、ちょっと気持ちが軽くなって。

自然を相手にする難しさまでも、日々楽しんでいるようなところがあります。

PCのメモと合わせて、アナログも

 

想像もつかないような今を過ごしてみて

ー様々なお話をお聞きしてきましたが、いよいよ最後の質問に入っていきます。

地元が嫌で飛び出し、都会で過ごした数年後、再び頴娃町に戻ってくるという、地元を飛び出した頃のあゆみさんからすると、想像もつかないような今を過ごしていると思うのですが、

そんな毎日を過ごしてみて、今どんなことを感じていますか?

時々、旅行などで都会に出かけることがあるんですけど、今の私としては

「都会での生活は無理だな」「今の生活が幸せだな」と思いますね。

想像もついてなかった今を、幸せに暮らす

 

ー今でも都会で働きたい、と思うことはありますか?

それが全くないんですよ。今は都会に戻りたいとは思わないですね。

都会での生活と、農家としての今の生活。どちらも経験して比較した上で、農業の良さを感じているので、今の方がいいなと思ってます。

 

ー東京での生活と、頴娃町(ローカル)での生活の違いでどんなことを感じていますか?

人の多さはもちろんですが、なんというか「食べる物への意識が違うな」と。

東京の人というと主語が大きいかもしれませんが、食べ物に対しての姿勢がローカルで暮らす人とは違う気がします。食べ物を自分の体を動かすためにただ食べているような。

食物として摂取していて、食べられればなんでもいいや、と機械的に食事をする人が多いような気がします。

その反面、どこまでも美味しいものを求めている人もいて。より珍しいもの、より美味しい何かを、お金さえ出せば食べられると思っている人も多いような気がしました。

でも自分の都会での生活をふりかえってみると、仕方ない部分もあるな、と思います。

大きなビルの中で大勢が働いていて、選びきれないほどの飲食店があって、徒歩圏内にコンビニがあって。

私自身は頴娃町に戻ってきてから、一つひとつ自分なりに慈しみながら食べ物と向き合うようになりました。

今は「作ってくれる人」が見えたり、「風土を感じる食べ物」を楽しめることが、すごく幸せで尊いことのように感じています。

 

ー暮らしが変わったことで、食べ物との向き合い方が変わってきたんですね。

そうですね。変わったこととしては、働き方に関しても。

都会では満員電車に揺られることも多かったですが、今は日々自然に触れながら、青空を見上げ夕陽を浴びて、鳥の声を聞きながら生活しています。

頴娃町を飛び出す選択をした頃は、わからなかった良さを、今だからこそ感じられるようになったのかもしれません。

 

ーあゆみさんは、今の生活が気に入っているんですね。

色んな経験をして、一周回って帰ってきたような感じです。

自分が居心地がいいと思えるところに、今の暮らしが育ってきているなと思います。

 

質問が止まらなくなった、インタビュー

取材のきっかけは、ABカフェオーナーの「ABカフェで使っている地元産の食材について、作っている人に直接取材をするのはどうかな?」という提案でした。

それから日程調整をして質問事項を考えて、あっという間に当日に。

同じ頴娃町内で暮らしているものの、それまであまり面識のなかったあゆみさんへの取材は緊張しました。

しかし、これまでの自身の経験を元に言語化された、あゆみさんが話す内容が面白くて。

もっと色んなことを聞きたくなって。

あゆみさんには質問事項にない問いかけにまで、たくさん答えてもらいました。

(記事では触れなかったけれど、実はあゆみさんと旦那さんの馴れ初めまでお聞きしました)

 

さいごに

取材したのは2020年2月のこと。記事公開まで時間がかかってしまいました。

あの時は新型コロナウイルス感染症の影響が、こんなにも大きくなるとは思っていなかった。

たった数ヶ月で世界が変わってしまったように感じますが、わたし達ローカルで暮らす人々の生活は、実はそんなに変わっていないような気がします。

本インタビュー記事が、ここ数ヶ月で自分の地元やローカルに目が向いた人にとって、何かしらの参考になれば嬉しいです。

 

「都会に飛び出したけど、地元に戻りたい気持ちも湧いてきた」

「ちょっとだけ未来の方向性を変えてみようかな」

という人にとって、半歩先の選択肢を広げられたら。

 

また、わたし達と同じように、ローカルで暮らす人にとっては
「言ってることわかるわ〜」
「そうそう。自分もそうだったな」と

共感してもらえたら嬉しいです。

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました!

 

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関連リンク

いせえび荘

ABカフェ

 

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かざり

かざり

2019年6月より頴娃町に移住。普段はブロガ〜/町のレコーダーとして「わたしと町の研究所」をコンセプトにブログONESELF Labを運営したり、寄稿したりしています。好きなドリンクは、赤いコーラです。