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半歩先の歩き方MEET UPにつながるインタビュー記事|錦江町 ゲストハウスよろっで 山中陽さん – EIGO|エイゴー

2022年1月に開催する
”感情をベースにつながるオンライン交流会”半歩先の歩き方MEET UP

鹿児島県内で”地域内外から人が集まる場”を運営している6組を「半歩先を歩いている方々」と定義し、各地域から1組ずつゲストに招いて地域における半歩先の歩き方についてお話を伺っていきます。

その中で参加者の皆さんと一緒にゲストの想いを深掘りしたり、参加者からの質問にゲストが答えたり(場合によってはそれぞれが抱えている課題を共有したり)といった双方向的な交流会を行います。

※本記事は半歩先の歩き方MEET UP当日の時間につながる、ゲストそれぞれの事前インタビュー記事です。

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今回は、2022年1月23日(日)19:30〜21:00に登場する錦江町 ゲストハウスよろっで 山中陽さんです。

– 山中 陽(やまなか あきら)さんのプロフィール

1992年 福岡県遠賀町出身。小学校から高校までを地元で過ごし、高校卒業後は、小学校教員の免許取得のために大阪にある教育大学に進学。卒業後は同じく大阪で小学校の先生として2年間を過ごす。その後は民間企業へ転職し2年ほど働いた後、高校の同級生との再会をきっかけに2019年4月に錦江町へ移住。地域おこし協力隊として”空き家活用”をミッションに地元の人達と共に「ゲストハウスよろっで」を開業。現在は錦江町で起業した”株式会社燈(あかり)”と”株式会社hinata”の2社で代表を務めている。

ゲストハウスよろっでとは?

錦江町で”株式会社燈”が運営する、カフェやバー機能を持つゲストハウスである。飲食については持ち込みも可能。ローカルな環境ではあるものの、徒歩10分圏内にコンビニやスーパーが位置している。

また海まで徒歩30秒という恵まれた立地にあり、隣には中長期滞在者向けのシェアハウスも。県内外から大学生が訪れたり、若手起業家が滞在したりと様々な人が足を運び、錦江町で過ごす時間を楽しんでいる。

– ゲームで遊ぶことが多かった幼少期

福岡県北九州市で生まれた山中さん。3歳年上のお兄さんがいるそうです。

 

山中さん:地元は田んぼが多い町で、人口は1万8千人ぐらい。駅までは、歩くと40分ぐらいかかりますね。

 

小さい頃はどちらかというとインドアなタイプだったようで、ゲームで遊ぶことが多かったようです。

 

山中さん:小学生の時は、スーファミ、NINTENDO64(ロクヨン)、ゲームキューブ、プレステ2……

1人で遊ぶ時はドラクエとかポケモンとか、ファイナルファンタジーもやっていました。友達と遊ぶ時は、スマブラとかマリオカートとかもやりましたね。

小学校を卒業するとゲームで遊ぶ時間は次第に減っていき、中学校ではバドミントン部に入部。

 

山中さん:中学校が1学年77人ぐらいの学校だったので、サッカー部とか野球部が無かったんですけど、何故かバドミントン部はあって。

友達が楽しそうにやってたので、自分もやってみようかなと思って始めました。

– とりあえず教員の道へ進むことを決めた高校時代

中学校を卒業後は、地元の高校へ進学。なぜ、その学校を選んだのでしょうか?

 

山中さん:元々、やりたい事が全く無くて「とりあえず賢い高校に行っておけば将来の選択肢も広がるかな」と、学区内で1番頭が良いところを選びました。

 

部活は中学校の時と同様に、バドミントン部へ。

学業では数学が好きだった事から理系を選択するものの「職業的になりたいものは見つからなかった」と話します。

 

山中さん:自分から「これがやりたい」って思えるものは高校の3年間では見つからなかったですね。

でも周りの社会人を見た時に、学校の先生だったり、親が公務員だったりしていたので、「とりあえず、自分も先生になるか」と思って、高校卒業後は教育大学に進むことにしました。

 

“とりあえず”とは言うものの、教員になる道を選んだ山中さん。

「学校生活の中で印象に残っている先生はいますか?」と尋ねると、

 

山中さん:高校時代は周りが賢くて、ついていくのがしんどい時期もあって。元々根がそんなに真面目じゃないので、それこそ高校の授業をサボったりもしてました。

進学校だからサボる人ってあんまりいなくて特殊な感じがあったんですけど、それでもずっと気にかけてくれる優しい先生がいて「すごいな、優しいな」と思っていました。

– 地元 福岡を離れ、大阪にある教育大学へ進学

高校を卒業した後は、大阪にある教育大学へ進学。

地元である福岡の教育大学も視野に入れていたようですが、大阪を選んだ理由は何だったのでしょうか?

 

山中さん:教員採用試験の合格率とか、先生になる実績があるところを探した時に大阪、京都。福岡や愛知の大学も見たんですけど、その中で1番良いところ。

学力的にもそんなに悪くないというか、自分の学力に合っているところを選びました。後は関西が好きで、関西弁に憧れを持っていたのも大きかったですね。

 

大学では、小学校の教員を育てる数学科の小学生コースに所属。

小学校の先生は、中学・高校と比べて幅広い分野の知識や能力が必要とされるため、講義も多岐に渡っていたようです。

 

山中さん:図工や書道。体育もありましたね。

他にも国語の教科書に載っている『ごんぎつね』で「作者の伝えたいことは何なのか」「この文章から何が読み取れるか」を10万字で分析するような課題もありました。

4年生になると、ゼミナールがスタート。

「卒業が近づいたことで、変わったことはありましたか?」と質問すると、

 

山中さん:見事に全然変わらないというか……でも、就職に対する焦りみたいなものは出てきましたね。

 

大学生活について「すごく楽しかった」とふりかえる山中さんですが、4年生の時には少し憂鬱な気持ちも抱えていたようです。

 

山中さん:正直、働きたく無かったんですよね。

当時の友人達にも「ニートになりたい」って言っていたし、とはいっても「社会人にならないといけない」という気持ちもあって、その2つがせめぎ合っていました。

 

ゼミでは数学に関わる研究をしていたものの、「それが将来につながるとは思っていなかった」と話します。

そして、話題は教員採用試験へと移っていきます。

– 教員採用試験では、二次試験をパスすることに

山中さん:教員採用試験は6月ぐらいに一次試験があって、8月ぐらいに二次試験があった気がします。

 

教員採用試験では筆記試験をはじめ、体育や音楽などの実技試験や面接などが行われます。

細かい試験内容や倍率などは都道府県によって様々らしく、山中さんは大学がある大阪で受験しました。

合格すると”教員”として働くことが可能になり、不合格の場合でも非正規雇用の”講師”として働くことができます。

果たして、山中さんの結果はどうだったのでしょうか。

 

山中さん:一次試験は受かったんですけど、二次試験には行かなかったんですよね。

教員志望の友達とピアノの練習とかしてはいたんですけど、途中で「めんどくさい」ってなっちゃって。別に教師になりたくないし、講師でいいやって。

 

当時をふりかえりながら「本当に働きたくなかったんでしょうね。懐かしいです」と笑う山中さん。

社会に出る億劫さと、「働かないといけない」という気持ちがせめぎ合っていた大学時代ですが、そのプレッシャーはどこから来ていたのでしょうか?

 

山中さん:僕自身、割と無難な考え方をする人間なんですよね。

高校も良いところに行って、大学もとりあえず国立に進学してっていう無難な人生。だから「大学は4年で卒業するもの」って思いがあったし、卒業したら就職しないといけないっていう考えだった。

親とか周りからプレッシャーをかけられていたわけではなく、自分自身でそう思っていました。

そうして卒業後は、大阪にある小学校で社会人生活をスタートさせました。

– 小学校の先生としてスタートした社会人1年目

小学校の先生として始まった社会人生活。当時の大まかな1日の流れについて伺いました。(時間は大まかなものです)

8:00 出勤〜教室で子どもたちと話す

8:30 職員室で朝礼

8:45 教室で朝の会、1〜4時間目の授業

12:30 給食、昼休み(子ども達と遊んだり、丸付けをしたり)

13:30 5〜6時間目の授業

15:30 帰りの会、下校(補修対応など)

山中さん:授業が終わった後は翌日の準備をしたり、採点をしたり。後は授業のスケジュールを学年で統一しないといけなかったりするので、他の先生と確認をしたり。他には、図工の作品のテーマを話し合ったりとか。

定時で帰ってる人はあまりいなかったですね。大体20時、21時ぐらいまで残って仕事をしている人が多かったと思います。

 

帰宅後も寝る直前まで、授業の準備や翌日に話す内容を考える毎日だったそうで「仕事とプライベートの境目がなく、ずっと仕事をしている感覚だった」と話します。

 

山中さん:土曜日だけは完全にリフレッシュできましたけど、日曜日になると憂鬱でしたね。

元々「教師になるんだ!」っていう思いがそんなに強くなかったから、夜まで仕事のことを考えるのがすごくストレスで、めっちゃしんどかったのを覚えています。

– 公務員から民間企業に転職を決めた社会人2年目

1年目を過ごす中で学校の勧めもあり、6月に教員採用試験を再受験。

無事合格し、2年目は”教師”として壇上に立ったものの、仕事に対するしんどさは変わらなかったようです。

 

山中さん:先生という職業が自分が本当にやりたいことでは無かったのもあって「ずっと続けるのは嫌だな」と。

定年退職している先生を見ると「最後までやり切ってすごいな」と思うし、給料も良かったけれど、自分は違う道を歩きたいと思って、民間企業に転職することを考え始めました。

 

「民間の企業に勤めるってどんな感じなんだろう?」
「もしかしたら、そっちの方が楽しいかもしれない」と、次のステップに進むことを決めた山中さん。

 

山中さん:20代で教師から民間企業に転職するのは比較的容易ですけど、10年〜20年と教師を続けて40代ぐらいで民間にっていうのは、ちょっと難しいだろうなと思っていたので、タイミング的にも良かったんですよね。

民間で数年働いてみて「やっぱり先生になりたい」と思ったら、もう一度教員採用試験を受ける必要はあるけれど、そんなに難しくは無いと思うので「早めに転職しよう」と。

そうして小学校の先生として2年間を過ごした後、社会人生活3年目は民間企業の社員としてスタートすることになりました。

民間企業に入社し、会社員としてスタートした3年目

大阪にある通信関係の会社に転職した山中さん。転職後は、どんな変化があったのでしょうか?

 

山中さん:すごく楽しかったですけど、自分の意志だけで動けるわけではないし、会社の方針に従わないといけないっていう大変さはありました。

とはいえノルマをこなしていれば、割と好き勝手やらせてくれる恵まれた職場でした。

 

「学校の先生よりは楽しかった」と転職後の生活をふりかえる山中さんですが、2年後には現在の活動の拠点である錦江町へ移住します。

 

山中さん:大学時代の話題の中で、自分のことを”無難な考え方をするタイプ”と話したんですけど、なんだかんだ好奇心も強かったんですよね。

だから学校の先生をやって、会社員もやってみて、「次は起業家とか経営者ってどんな人生なんだろう?」と思うようになりました。

 

自身について「一般論や人に言われたことをすんなり受け入れるタイプじゃない」と話す山中さん。

起業についても「自分でやってみないとわからない」と考え、20代の内にもう一歩を踏み出すことを決めました。

勤めていた会社が副業OKになったこともあり、はじめは副業として小さく始めるつもりだったそうですが、高校時代にバドミントン部でダブルスを組んでいた同級生との再会をきっかけに錦江町とのつながりが生まれます。

山中さん:その子は大学時代に休学して、震災時の東北でNPOを立ち上げ、起業して8年目ぐらいの経営者。

その子とたまたま大阪で飲む機会があって起業を考えていることを話したら、「錦江町っていう面白い場所があって、ゲストハウスを立ち上げようとしている」という話を教えてもらって。

彼は元々、空き家アドバイザーとして錦江町に関わっていたんです。

 

同級生に誘われ、「まずは1回遊びに行こう」と、2019年1月に1泊2日で錦江町に足を運ぶことに。

錦江町に来る確率は?「30%ぐらいかな」

滞在中は地元のおじちゃんおばちゃんや、ママ達に混ざってワークショップに参加したり、役場の人と話したり。

限られた時間の中で錦江町で暮らす様々な人と顔を合わせたそうです。

 

山中さん:実際に足を運んでみて面白そうだなとは思ったけれど、最後に「錦江町に来る確率って何%ぐらい?」と聞かれた時には、30%ぐらいかなと答えました。

やっぱり誰も知らない場所だし、一旦大阪に帰って考えたかった。

移住前の心境について、山中さんは「当時はゲストハウスに泊まったこともなかったから、”ゲストハウスを立ち上げるから錦江町においでよ”と言われてもそんなに響いていなかった」と話します。

けれども、1泊2日の滞在中に出会った錦江町の人達に対しては魅力を感じていたようで、最終的には「錦江町の人達と一緒に活動してみよう」と移住することを決意しました。

 

山中さん:案内してくれた高校の同級生に錦江町に移住する旨を伝えると「ここに申し込んでね」と、その時に初めて協力隊制度を知りました。

 

気持ちの面では錦江町への移住を決意させる要因があったものの、生活面。特に給与に関してはガクッと下がってしまいます。その点について不安はなかったのでしょうか。

 

山中さん:正直引っかかっていました。結局2週間ぐらい色々考えましたけど、当時はまだ20代で結婚もしていなかったので「行くなら何でもできる今だ」と思って地域おこし協力隊に応募し、2019年4月から活動が始まりました。

2019年4月 地域おこし協力隊として錦江町へ移住

錦江町へ引っ越す時の状況について伺うと「家電関係は大阪で友人にあげたりアプリで売ったりして、錦江町には段ボール4箱ぐらいで移動しました」と驚きの答えが返ってきました。

山中さん:段ボールに入っていたのは洋服ぐらいかな。最低限の家電は引っ越してから揃えようと思っていました。

物自体は色々持っていたんですけど、とりあえず1回リセットしようと思って、テレビとかもめちゃめちゃ好きだったんですけど、「1回捨ててみよう」と思って手放しました。

 

大阪から鹿児島県錦江町へ、ほとんど体ひとつで移住した山中さん。

地域おこし協力隊として着任後は、”空き家活用”をミッションに、後に「ゲストハウスよろっで」として生まれ変わる建物の立ち上げに邁進。

今のところは協力隊としての任期を終えた後も、「錦江町での暮らしを続けたい」と考えているそうです。

錦江町に移住後、1年半ほどで2社の法人を起業

大学を卒業後、学校の先生や会社員を経験し、現在は錦江町で立ち上げた2社の法人の代表を務める山中さん。

2019年12月に設立された1社目の法人”株式会社燈(あかり)”は、地元の方々と一緒に立ち上げた法人です。

「ゲストハウスよろっで」の立ち上げや開業後の経営、またシェアハウスの運営も行っています。

そして翌々年の2021年6月に設立された2社目の法人”株式会社hinata”では、地元の子ども達とクラウドファンディングに挑戦したり、公園でツリーハウスづくりを行ったりしています。

錦江町の人々と共に、様々な活動を展開している山中さん。

その姿から”しっかりしている人””将来をしっかり描いている人”という印象を持つ人も少なくないと思いますが、「自分は根が真面目じゃない」「無難な考え方をする人間」とインタビューを通して意外な一面を知ることができました。

 

山中さん:錦江町に来るまではずっと「社会人になりたくない」とか「仕事なんてしたくない」と思っていて、そこが変わったのは大きいですね。自分から「これがやりたい」って思えるようになったのは、大きな変化だと思います。

学生時代と比べると、責任感が強くなったのか「ちゃんとしよう」っていう気持ちがすごく増えましたね。自分を歓迎してくれた錦江町の人達に恩返しをしたいというか。

地元の人達とのつながりも強いので、そこで自分がチャランポランにすると、せっかく可愛がってくれた人に申し訳ないし、期待してくれている人にも申し訳ないですから。

 

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オンライン交流会当日は、「ゲストハウスよろっで」や、錦江町で立ち上げた2つの法人について、といったお話しをメインに伺っていきます。

錦江町の山中陽さんが登場する「半歩先の歩き方MEET UP」は、2022年1月23日(日)19:30〜21:00です。

参加申し込みと事前質問は、こちらから(参加無料)↓

▼半歩先の歩き方MEET UPの参加を申し込む

詳細については、Facebookイベントページまたは、EIGOの参加者募集記事をご覧くださいませ。

− オンライン交流会当日は、FacebookまたはYouTubeから

開始の時間になりましたら、EIGOのFacebookページまたは、YouTubeアカウントからご参加ください。

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半歩先の歩き方MEET UPは、鹿児島県から「つなぐ・つながる連携の場づくり事業」を受託したNPO法人頴娃おこそ会が実施いたします。

– 本事業の概要をまとめた冊子が完成しました!

(2022年4月追記)

「”感情をベースにつながるオンライン交流会”半歩先の歩き方MEET UP」の概要をまとめた冊子が完成しました。

冊子の中には本事業の中で生まれた大切な言葉の一つである、

”地域をつくっているのは「感情を持つわたし達ひとりひとり」である”

を1ページ目に明記し、県内6地域で活動されている方々のインタビュー記事(EIGOで公開したものと同じ内容になります)を掲載。

また、2週にわたって6日間の開催となった「半歩先の歩き方MEET UP」の舞台裏や、交流会の様子についてまとめています。

全40ページにわたる冊子の内容は、下記からPDFデータでご覧になれます。

県内の何処かで冊子本体を見つけた際は、ぜひ手に取ってみてくださいね〜!

かざり

かざり

2019年に移住。2023年1月まで南九州市頴娃町の地域おこし協力隊として活動し、卒業後も同じ町で過ごしています。ライターや広報の仕事をしながら、地域でも活動中。好きなドリンクは、赤いコーラです。