2022年1月に開催する
”感情をベースにつながるオンライン交流会”半歩先の歩き方MEET UP
鹿児島県内で”地域内外から人が集まる場”を運営している6組を「半歩先を歩いている方々」と定義し、各地域から1組ずつゲストに招いて地域における半歩先の歩き方についてお話を伺っていきます。
その中で参加者の皆さんと一緒にゲストの想いを深掘りしたり、参加者からの質問にゲストが答えたり(場合によってはそれぞれが抱えている課題を共有したり)といった双方向的な交流会を行います。
※本記事は半歩先の歩き方MEET UP当日の時間につながる、ゲストそれぞれの事前インタビュー記事です。

**
今回は、2022年1月15日(土)19:30〜21:00に登場する種子島 チャレンジ拠点YOKANAの湯目知史さん、由華さんです。
– 湯目 知史(ゆのめ ともふみ)さんのプロフィール
1995年1月生まれ 宮城県出身。高校卒業後、同じく宮城県にある大学に進学し、経済学部に所属。大学卒業までを宮城県で過ごした後、上京。保険会社に就職。数年を東京で過ごした後、鹿児島県種子島の中央にある”中種子町”に移住し、地域おこし協力隊として活動を開始。地域づくりに関わりながら、ライティングのスキルを活かして町の発信も行っている。毎週月曜にはnoteにて「妻の応援日記」を更新。
– 湯目 由華(ゆのめ ゆか)さんのプロフィール
1994年5月生まれ 岩手県花巻市出身。「社会全体の仕組みについて学びたい」と大学は経済学部に進学。卒業後は、東京のベンチャー企業に就職し、コンサルタントの仕事を行う。幼少期の経験から「地域に関わる仕事がしたい」と知史さんと共に2020年に種子島へ移住し、地域おこし協力隊として着任。翌年には”一般社団法人LOCAL-HOOD”を起業し「チャレンジ拠点YOKANA」を立ち上げ、地域課題解決に向けて日々チャレンジを続けている。
– チャレンジ拠点YOKANAとは?
種子島の中央に位置する中種子町にて2021年に設立された”一般社団法人LOCAL-HOOD”の拠点であり、地域のチャレンジに寄り添い後押しする場所である。
築60年ほどの空き家をDIYをベースとした改修でよみがえらせた。建物内にはコワーキング・イベントスペースや、飲食店として営業可能なレンタルキッチン、宿泊機能などが設けられている。
また、種子島の未来を語る「たねがしまスープ」や、物々交換で交流が生まれる「シエスタ」など、地域を中心とした取り組みを多数実施。更には子育てを頑張るみんなの応援コミュニティ「YOKAMAMA」といった新しい共同体も生まれている。

– シャッター街に変わる町の姿を目の当たりにした小・中高時代
三姉妹の長女として、岩手県花巻市で生まれた由華さん。妹は6つ下と8つ下で、妹というよりは姪っ子のような感覚だそうです。
花巻市は1市3町が合併して生まれた市で、由華さんが暮らしていたのは以前は”石鳥谷町(いしどりやちょう)”と呼ばれていた町。
石鳥谷町は花巻と盛岡という大きな街に挟まれていて、観光客のほとんどが素通りする場所だったそうです。
訪れる人が少なくなってしまったことで由華さんが遊び場にしていた商店街は、次第にシャッター街に……
由華さん:1番悲しかったのは、小学2〜3年生の時に行きつけの駄菓子屋さんが無くなってしまって。しばらくは近くにキャメルマートっていう地方にしかないようなコンビニがあったんですけど、それも無くなって。
他にも友達のおばあちゃんがやっていた文具屋さんも年齢を機に閉じてしまって、自分も段々と商店街から足が遠のいていきました。
変わっていく町の姿を目の当たりにしながら過ごした小・中高生時代。
その時に抱いた感情は、その後の進路を決める際の道標になっていきます。
由華さん:大学受験を失敗して1年間浪人していた時期に「そもそも何で大学で勉強しないといけないんだっけ?」と考えるようになって「自分は地域のために働きたいのかもしれないな」と。
そのための勉強だったら意義があるのかもしれないな、と思いました。

– 4年間で30種類のバイトを経験した大学時代
1年間の浪人期間を経て、宮城県にある大学へ進学。
「社会全体の仕組みを知りたい」と、経済学部に進みました。
入学後は妹がいたこともあり、親に迷惑をかけたくないという気持ちからアルバイトに励むように。
友達と遊ぶこともほとんどなく、大学とバイト先を往復するような毎日だったそうです。
由華さん:自分のスキルと共に時給が上がるのがすごく楽しくて、結果的に4年間で30種類ぐらいのバイトを経験しましたね。
勉強に対してはそこまで熱心じゃなかったと話す由華さん。
しかし、2年生から始まったゼミで大学生活がガラリと変わることになります。
由華さん:学生にすごく寄り添ってくれる素敵な先生がいて、学生同士の縦のつながりがすごく強いゼミでした。
先輩が後輩に教えるという文化ができていて、そこで憧れの先輩ができて「あの人を超えたい!」と、勉学にも励めるようになりました。
ゼミで学んだ理論的な考え方やプレゼン方法は、社会人生活でも活かされたようで「そのゼミに入らなかったら今はない」と思うほど、濃い時間を過ごしたそうです。

– とにかくスキルを伸ばしたかった新卒時代
由華さん:小さい頃に地元の姿が変わっていくのを目の当たりにした経験から「こういう地域を増やしたくない」と思っていました。
そして自分に何ができるか? どうしたら自分が力になれるかな? と考えた時に「地域に魅力的な仕事を増やす」っていうのが1つあるかもしれないな、と。
鹿児島県と同様に、由華さんが育った花巻市も就職を機に地元を離れる人が多いそう。
それを地域に魅力的な仕事を増やすことで解決しようと考えた由華さんは、業務や経営について学ぶために、コンサルティングファームに就職します。
由華さん:キャリアプランを明確に描かせてくれる会社で、はじめに「自分はどんな風に社会に貢献したいのか?」「そのためにどんなスキルを身につける必要があるのか?」を考えられたからこそ熱心に勉強できたし、仕事にも一生懸命取り組めました。
一度これ! と決めたら我が道を突き進む性格の由華さん。
自身の能力を伸ばそうと生き急ぐように東京で過ごす中で、時には燃え尽きてしまうことも。
満員電車で身も心も疲れ、帰宅後は家事もまともにできず、土日は泥のように眠ることもあったそうです。
由華さん:その会社で2年ほど働いた後に種子島に移るんですけど、田舎で生まれ育っている分、今のスピードの方が自分には合っている気がします。
東京時代のような「全力でガムシャラに」という動きが必要な場面もありますが、地方では馴染まない瞬間もあるので、うまくバランスを取りながらやりたいですね。

-チャレンジ拠点YOKANAのドミトリー-
– 中学生の頃は学校の先生になりたいと思っていました
一方の知史さんは、宮城県で二人兄弟の弟として生まれました。
知史さん:かつては目立ちたがり屋だったと思うんですけど、歳を取るにつれて落ち着いていったような感じがします。
現在は種子島で由華さんと共に、地域おこし協力隊として活動をしていますが、中学生の頃は学校の先生になろうと思っていたそうです。
知史さん:バレーボールをやっていて、高校に入ったぐらいから漠然と「バレーボールを教えながら教員をやろうかな」と。
社会科系が得意だったので中学校の社会の先生とか、高校の政治経済とか。その辺が良いかなと思って勉強していました。
中学時代にバレー部の副キャプテンを務めていた知史さんは「もっと高いレベルのところに行こう」と県内の強豪校に進学。
しかしながら思ったように実力が伸びず、2年生の時にマネージャーに転身しました。
勉強に関しては中学時代は成績の良い生徒が多く、その中で知史さんは中の下ぐらいの成績。
自分に対して勉強ができない印象を持っていたものの、最初の実力テストで、なんと1位を取ることに。
知史さん:勉強とバレーの成績がガラッと変わった瞬間があって、戸惑ったこともありました。でも勉強ができて悪いことはないだろうと思って、最終的にはオール5で卒業。
そんなに偏差値が高い学校ではないんですけど、良い成績を維持しようと思ってやり切りました。
バレーボールに関しては、マネージャーとして選手を支える方に舵を切りましたね。
バレー部の強さは全国大会に出場するほどで、マネージャーに転身後は対戦相手の試合をビデオで撮影。
分析した情報を選手に共有して作戦を立てるなど、アナリスト的なサポートを行いました。
知史さん:僕自身は基本的にやりたいことがない人間なんですよね。その辺りから「自分は他の人をサポートしている方が活躍できるな」と思うようになりました。

– ディベートの能力が開花し、全国大会で準優勝
高校卒業後は学校の先生を目指し、大学に進学。大学生活の中で1番印象に残っていることを尋ねると「ゼミですね」と即答。
そのゼミの中で更に印象に残っていることについて伺うと……
知史さん:ディベートの全国大会に出る人を募っていて、立候補しました。
ディベートってそれまでやったことなかったんですけど、なぜか最初からものすごく上手くできたんですよね。全国大会では2位の成績を収めました。
限られた時間内にピッタリ話せたりと「我ながら抜群に上手かった」と話す知史さん。
論理的思考力や発信力が必要とされるディベートの能力が開花したことで、自分に自信を持てるようになったそうです。
知史さん:元々、頭が良いことに対して憧れがあったんですよね。小さい頃に三国志を読んでいて、バッタバッタと投げ倒す武士より「諸葛亮(しょかつりょう:天才軍師)格好良い!」みたいな。
それは中学生の時の「勉強ができない」というコンプレックスから来ていたんだと思います。
でも高校、大学で「自分も頑張れば上の方に入れるじゃん」と勉強を頑張るようになって。
それがディベートという形で昇華されたんじゃないですかね。

– 60歳までこの生活が続くと思うと不安だった
大学進学時は教員を目指していた知史さんですが、ゼミでの活動を通して進路変更をし、卒業後は保険会社に就職。上京し、初めての一人暮らしが始まります。
就職した会社は全体で4,000名ほどが働く大きな組織。
働きやすくて待遇も良く「とても良い会社でした」とは言うものの、未来のことを考えると引っかかる部分があったようで……
知史さん:リスク管理部に配属されて、データを集めてミスが起こった原因を分析し、再発防止を考えるような業務を担当していました。
仕事内容自体は好きではあったんですけど、「これが60歳まで続くのか」と考えると、ものすごく嫌でしたね。
年齢と共に役職が上がっていく仕組みで、若くて実力があっても評価されにくい環境だったんです。
そういう会社の姿を見ていて、このままだと自分も活躍しきれないまま終わってしまうんじゃないかと不安になってしまって。
もっと評価されるところに身を置きたい、と思うようになりました。
そうして3年ほど働いた後、種子島へ拠点を移すことに。
最終的に移住を決めたのは由華さんだったそうですが、そちらの話題に入る前に、まずは2人の出会いについて。

-中種子町の旭町商店街-
– 知史さんと由華さんの出会いは大学時代
”自分は基本的にやりたいことがない人間”と話す知史さんと、
”これだ!と決めたら我が道を進む”由華さんの出会いは、大学時代のゼミナール。
年齢は同じですが、由華さんが1年遅れての入学のため、ゼミでの知史さんは先輩にあたります。
知史さんが大学を卒業して上京した1年後、由華さんも就職のため東京へ。数ヶ月間の同棲を経て、2018年に結婚しました。
交際期間は2年経っていないぐらいだったそうですが、先輩後輩として過ごした時間が長かったため、お互いのことはある程度わかっていたそうです。
比較的、若い年齢で結婚した2人に、”結婚に踏み切った理由”について尋ねると……
由華さん:結婚したい人がいた時に、遅らせる理由が特になかったので。
結婚に関して由華さんのご両親からは「早すぎるんじゃない?」と言う声があったものの、
「結婚するのは自分達なので」と、一度決めたら突き進む由華さんらしく、知史さんと夫婦になることを選びました。

– 生まれた東北でも働いた関東でもないところ
ここからは東北出身の2人が南の離島 種子島への移住を決めた背景について伺っていきます。
東京で働く中でも「地域に関わりたいという思いに変化はなかった」と話す由華さん。
そんな由華さんのことを、当時の知史さんはどう思っていたのでしょうか?
知史さん:正直に言うと、彼女がそこまで地域に関わる仕事をやりたいと思っているなんて、知らなかったんですよ。
コンサルの仕事も楽しそうだったから、そういう道を進むのかな? と。
まさか移住してまで地域に関わりたいと考えているとは、全く思ってなかったです。
まさかの知史さんの言葉に驚いてしまいましたが、由華さんはこんな風に思っていたそうです。
由華さん:当時はまだその辺を言語化できていなかったんですよね……
熱が入っていった1番のきっかけは、「誰とどこで何をしたいのか?」が明確になったから。
”誰と”の部分は、夫婦で。東京では夜ご飯の時ぐらいしか時間が合わなかったので、一緒に過ごす時間を増やせたら良いな、と。
”どこで”は、都会ではなく地方で。
最後の”何をするか”は、地方の課題を解決する取り組みに挑んだり、町にもそういう人を増やしたい。
彼にはあえて伝えなかったとかではなくて、多分言ったつもりになっていたんでしょうね……。

東京を離れて地方に移住することを提案された知史さん。その時の心境は……
知史さん:お互い20代前半だったこともあって、全部失敗して大ゴケしたとしても、なんとかなるなって思っていました。
どちらかというと保守的な性格なんですけど、そこは割と楽観的に考えていましたね。
後は僕自身も残りたいほど、東京での仕事に惹かれていたわけではないので、まあ、やりたいんだったら良いんじゃない? と。

移住にあたっては、地域おこし協力隊制度を活用することに。
移住先を探す際は、”起業を前提としていること”、”夫婦2人で採用してくれるところ”など、様々な条件面を考慮し、最終的には種子島へ。
2人の出身地に近い北国への移住は考えなかったのか? について伺うと、
知史さん:あんまり見てなかったよね。
由華さん:そうだね。生まれた東北でもなく、働いた関東でもなく、縁のない南の方で、人柄とか風土とかを知りながら活動できたら良いかなって。
後は海が大好きだったので、きれいな海があるところで過ごせたら最高だろうな、と思って種子島を選びました。

– 物事に対するアプローチが異なる2人の地域づくり
種子島に移住した翌年に、”一般社団法人LOCAL-HOOD(ローカルフッド)”を設立。
さらには地域の人々と協力して、空き家だった建物を改修し”チャレンジ拠点YOKANA”を立ち上げました。

地域課題の解決を目指して、短期間に様々なチャレンジを重ねる2人ですが、それぞれの過去を聞いてみると、物事の進め方に大きな違いがあるような気がします。
夫婦で同じ仕事に取り組む上で、衝突や行き違いが起こることはないのでしょうか?
由華さん:めちゃめちゃ揉めますよ。
知史さん:家庭ではそんなに無いですけど、仕事でいえばそうですね。アプローチの仕方が全然違うので。
彼女はグイグイと物事を進めていくタイプ。一方、僕自身は信用を失うことにものすごく抵抗を持っていて。
信用って一度失ってしまうと取り戻すのがすごく大変。だから質の低い仕事をしてしまうことに対してものすごく抵抗がある。
でもそれって結果的にはやりたいことに対してブレーキをかけてしまうことにもなので、「はたして、これは役割として正しいのか?」と考えてしまうことがあります。
由華さん:自分たちではよく、”アクセルとブレーキ”って言うんですけど、どちらも必要なんですよね。だからハレーションが起きるのは、むしろ健全だと思っていて。
多分これがなくなったら物事が進みすぎてリスク過多になるし、一方では何も発展しない状態になってしまう。随分ケンカしましたけど一周まわって、今はそれで良いと思っています。

− 2022年は協力隊として3年目を迎える年
湯目知史さん、由華さん夫婦は、2022年で地域おこし協力隊として最後の年となる3年目を迎えます。
(地域おこし協力隊は最大で3年間の任期と定められています)
”一般社団法人LOCAL-HOOD”の起業は、種子島への着任から1年以内の出来事です。
1.地域の未来のアイデアを形にする、地域人材を輩出する
2.地域の人・もの・風土を大事にし、未来に繋ぐ
3.小さな一歩を踏み出し続ける
をミッションに掲げ、起業から約半年後には「チャレンジ拠点YOKANA」の運営を開始。
取材中も町のおばちゃんがYOKANAでおしゃべりを楽しんだり、おじちゃんが2人への相談事を抱えて足を運んでいました。
由華さん:YOKANAを作る上で1番大事にしていたことは、”楽しむこと”。
自分たちがしんどい顔をしていたら、応援してくれている人たちも乗り切れないと思うので、まずは自分たちが楽しく活動する。
それを町の人たちにも伝えて、一緒に楽しんでもらうことを意識していました。
**
オンライン交流会当日は、”一般社団法人LOCAL-HOOD”や「チャレンジ拠点YOKANA」のお話しをメインに伺っていきます。
種子島の湯目知史さん、由華さんが登場する「半歩先の歩き方MEET UP」は、2022年1月15日(土)19:30〜21:00です。
参加申し込みと事前質問は、こちらから(参加無料)↓
詳細については、Facebookイベントページまたは、EIGOの参加者募集記事をご覧くださいませ。
− オンライン交流会当日は、FacebookまたはYouTubeから
開始の時間になりましたら、EIGOのFacebookページまたは、YouTubeアカウントからご参加ください。
**
半歩先の歩き方MEET UPは、鹿児島県から「つなぐ・つながる連携の場づくり事業」を受託したNPO法人頴娃おこそ会が実施いたします。
– 本事業の概要をまとめた冊子が完成しました!
(2022年4月追記)
「”感情をベースにつながるオンライン交流会”半歩先の歩き方MEET UP」の概要をまとめた冊子が完成しました。
冊子の中には本事業の中で生まれた大切な言葉の一つである、
“地域をつくっているのは「感情を持つわたし達ひとりひとり」である”
を1ページ目に明記し、県内6地域で活動されている方々のインタビュー記事(EIGOで公開したものと同じ内容になります)を掲載。
また、2週にわたって6日間の開催となった「半歩先の歩き方MEET UP」の舞台裏や、交流会の様子についてまとめています。
全40ページにわたる冊子の内容は、下記からPDFデータでご覧になれます。
県内の何処かで冊子本体を見つけた際は、ぜひ手に取ってみてくださいね〜!